琉球天孫三世湧川按司、琉球天孫は605年始まり二十五世で終わる

宜野湾謝名村又吉天孫琉球

志仁礼久男神と阿摩弥姑女神の
二神の後裔、天帝子加那志

免武登能大東大祖と言う。
姓は姜氏、名は龍玉と言う。
山東省の内蓬莱県の人である。
妻天女神加那志

免武登能城を建てた方で天帝子です。
天帝子の御子天孫氏が琉球天孫一世です。

琉球天孫國は乙丑(605年)より始まり
宋朝の淳煕丙午(1186年)
琉球天孫二十五世で終わる。
 
琉球天孫二十五世を滅ぼした利勇
その利勇が滅び
源氏琉球舜天王が誕生します。

琉球天孫は一世から二十五世まで続きます。
一世天孫氏、その御子二世孫太子
その御子三世湧川按司
その御子達をまとめました。

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天孫氏の父、天帝子御子達

長男天孫氏中山王の始まり
 琉球天孫一世です。
二男北山按司本島按司の始まり
三男島尻世主本島百姓の始まり
長女君々と言う貴族の神職を掌る
次女祝々と言ふ田舎諸島奴留神の始まり

琉球天孫一世長男天孫氏
居所は玉城仲村渠の免武登能
ミントン)と言う家にある。
玉骨は佐敷新里村の上峰の口穴に埋葬する。
御子二世孫太子大君 

琉球天孫氏三世湧川按司

在所、宜野湾謝名村の又吉と言う家にある。

御父孫太子
祖父天孫子

琉球天孫三世湧川按司の御子四世

長男宜野湾按司
御子五世 
長男棚原大主
 在所、西原棚原村牛め草の
比嘉と言う家にある。
二男父の跡を継ぐ
 在所、南風原喜屋武村の
謝名と言う家にある。
三男本部大君
 在所、豊見城饒波村の
里と言う家にある。
四男宮平大屋子
五男小禄大主

二男米須按司
在所は摩文仁米須村に在る。
長男の小禄金満の婿に成り
米須村に引っ越しする。
後裔世子出来ず、
宜野湾真志喜村金満按司の
六男を養子にする。
在所小禄米須村の赤嶺と
言う家にある。

三男東風平按司
東風平村の地組仕置きして、
後真壁前栄平村を地組し
その村に住む
後裔十二代目に世子無く、
養子を取り相続する。
在所は真壁前栄平村の
謝名と言う家にある。

四男浦添按司
母は浦添前田村の川畑と
言う家の娘である。

五男与那城按司
母は勝連南風原村の
根屋の娘である。

六男新城按司
母は宜野湾久保玉栄
の娘である。
在所、同謝名村の桃原
と言う家にある。
後浦添伊祖の銘苅と言う家を
桃原大屋子が継ぐ
御子は七名いる。

七男松川大主
在所、小禄安次嶺村の
赤嶺と言う。
小禄当間村の地組
初めた方である。
在所は同当間村の根所にある。

八男勢理客大主
在所、浦添勢理客村
の根所にある。
大主は後伊平屋島に渡り
海の仕事をして隠居する。

九男小波津大主
西原小波津村根所に住むが
後、与那城平安座村で隠居する。

十男大山大主
在所は宜野湾大山村の
具志川と言う家にある。

参考文献
琉球祖先宝鑑
著者:慶留間知徳

まとめ

琉球天孫は605年一世から始まり
宋朝の淳煕丙午(1186年)
二十五世で終わる。
琉球天孫一世から二十五世までの
子孫達を今、僅かでも記す
つもりで書いています。

琉球天孫の後裔
天孫三世湧川按司
その御子達四世、
またその御子達五世後裔
までは判明しました。
まだまだ二十五世までは遠いですが、
楽しみながら積み重ねます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

仲地弘和
家系
氏集首里・那覇
八番31頁 白氏 名乗頭字・信
大宗白楊基 金城親雲上信懐
家紋:武田菱、四つ割菱
勝連濱川按司御子二男勝連「屋慶名主(楊布主)」

前原高校を経て
琉球大学農学部卒業

調査に月日を重ね続けるなか
うるま市郷土地元と琉球の歴史に興味が湧き
資料を集め30年が過ぎる。

その資料を再考察し自分が感じた事
先祖の歴史を基礎に、
琉球の先人達
郷土史家伝説の資料から導き出した
自分独自の琉球歴史観を記しています。

少しでも琉球郷土史に興味を抱いている方々の
参考にしていただけたらと思い書いています。

学問的に歴史研究家
先生方に師事し学んで無いので
多々間違いも多くあるものと思います。
参考程度で読んでもらえたら幸いです。

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