阿摩弥姑とその夫志仁礼久の一族が遠い昔、ニライカナイより琉球へ渡り住み着いたと伝えられる。
長い年月が経ち、色々な見方・考え方が現れ振り回され、その人物の話は空想なのか、実在した人物なのか
分からなくなりました。
琉球の先人が記した資料の分析から
具体的な内容を分析し事実を提示しました。
結論として
阿摩弥姑女神と志仁礼久男神の二神は存在する人物です。
しかし琉球の地で誕生した人物ではありません。
死んで玉骨として琉球の地に来たのか、生きて琉球の地を踏んではないです。
骨・魂が琉球の地にあるのは明白です。
骨・魂がいつ琉球の地を踏んだのかも判明しています。
今回は、記事を読んで頂けましたら、
皆が納得できるとみています。
阿摩弥姑女神と志仁礼久男神の琉球国の立始め
琉球始祖(天帝氏免武登能大東大祖)の曽祖父です。
志仁礼久御名天極大神
玉骨は佐敷新里村の上の峰の口穴内に埋葬すると言う。
妻阿摩弥姑御名地極大神
玉骨は真壁伊敷村の前取漏溪穴に埋葬すると言う。
琉球始祖(天帝氏)曽祖父の御子二世
天美人加那志
御骨は父と同処にあると言ふ。
巣出美人加那志
御骨は父と同処にあると言ふ。
大東大神加那志
御骨は知念番所の内岩下穴に埋葬すると言う
国頭大神加那志
御骨は国頭辺戸先の岩の下の下穴に埋葬する
島尻大神加那志
御骨は八重瀬峰の岩の下穴に埋葬する。
中頭天続首里加那志
玉骨は宜野湾喜友名獄内の穴に埋葬する。
居所は宜野湾普天間村の根所にある。
国場大神加那志
玉骨は真和志上間端の岩丁穴に埋葬する。
居所は真和志国場村の根屋城間と言う。
後代は百名世主の八男が相続する。
国吉大君加那志
玉骨は島尻伊敷の前取漏溪穴の中に在るという。
西天大神加那志
玉骨は奥の山の天突山の内に埋葬する。
南天大神加那志
玉骨は島尻喜屋武、先の岩の上穴に埋葬する。
北天大神加那志
玉骨は嘉津宇獄の上に埋葬する。
照君大神加那志
玉骨は崎山殿内の下穴に埋葬する。
南海大神加那志
玉骨は瀬長島の下穴に埋葬する。
男女各十二人おるが各方面に分かれて住むと言ふ。
二世天美人加那志
二世巣出美人加那志(妻)
御子三世
天太子加那志
玉骨は勝連浜比嘉村に埋葬する。
竜宮女加那志
玉骨は勝連浜比嘉村の白浜の前高岩穴に埋葬する。
天済大神加那志
玉骨は佐敷新里村の東方獄天済と言う所に埋葬する。
御子の長男巣人のその長男並里按司は子七男いると言ふ
天続大神加那志
玉骨は東玉城に埋葬する。
居所は根所にある。長男は大里南原屋と言う家にある。
二男は中城喜舎場村の根屋にあり、子は七男四女いる
天久大神
玉骨は真和志天久村の白浜の前の高岩に埋葬する。
居所は真和志天久村の志利川と言ふ家のある。
天願大神加那志
玉骨は天願の大獄内に埋葬する。
天底大神加那志
玉骨は今帰仁天底村の岩の下穴に埋葬する
天銘大神加那志
玉骨は天銘村の高岩の穴に埋葬する。
天王子加那志
玉骨は首里崎山村の獄の下穴に埋葬する。
三世天太子大神加那志
妻三世竜宮女大神加那志
御子四世
天帝子加那志
玉骨は佐敷新里村の後上峰の口穴と言ふ大穴に埋葬する。
天女神加那志
玉骨は久手堅村の後方波御獄の内に埋葬する。
天続大神加那志
居所は安波茶村の根所にある。
玉骨は宜野湾喜友名村の獄内の穴に埋葬する。
後相続人がなく天孫氏六男伊祖大神が相続する。
その長男は西原末吉村の大東と言ふ家を相続する。
北山大神加那志
居所、今帰仁城内にある。
玉骨は今帰仁城内の天続に埋葬する
御持は今帰仁親泊村の根所にある。
子は七男二女、三男は真和志間切字国場大神の後代を相続する。
居所は真和志間切字国場村の城間と言ふ家にある。
勝連大神加那志
玉骨は勝連城の下岩の穴内に埋葬する。
子は七男五女お
在所は勝連南風原根所にある。
雨続首里大神加那志
玉骨は真和志崎山雨上端の下大穴の中に埋葬する。
居所は同上間村の安謝名と言ふ家にある。
後裔の七代は北山から入る真和志按司である。
後真和志按司より四代目は北谷村金満按司の子、真和志按司は七男一女できる。
野国大神加那志
玉骨は北谷野国村川の前の端大穴の内に埋葬する。
居所は野国村の根屋石川と言う家にある。子七男五女おる。
宜野湾大神加那志
玉骨は宜野湾喜友名村の獄の下内穴に埋葬する。
居所は宜野湾村の根所仲村渠と言う家にある。
後末五代目は天孫氏の孫八男が相続する。
中城大神加那志
玉骨は中城安谷屋村の後高岩の竹山の下に埋葬する。
長男は浦添大君、居所は安谷屋村の根屋の家にある。
子は前田大主、伊祖主、宮城主、仲西主、天久西銘主がいる。
与那城大神加那志
玉骨は勝連城の下穴内に埋葬する。
長男与那城按司、二男東風平按司、三男南風原主、四男大里主がいる。
末吉大神加那志
玉骨は西原末吉村の後高岩の下穴内に埋葬する。
居所は末吉村の大東と言う家にある。
後、浦添安波茶村小湾と言う家の元祖伊祖大神の長子が相続する。
金武大神加那志
玉骨は金武村の大穴に埋葬する。
居所は金武根所の根屋にある。
久志大神加那志
玉骨は恩納村大獄の内岩の穴内に埋葬する
居所は久志村根所にある。
恩納大神加那志
玉骨は恩納村の大獄の内岩の穴内に埋葬される。
居所は恩納村の根所にある。
名護大神加那志
玉骨は名護数久田村の取漏溪穴に埋葬する。
本部大神加那志
玉骨は本部嘉津宇岳の内岩下に埋葬する。
羽地大神加那志
玉骨は羽地川上村瀬の上高岩の穴内に埋葬する。
久高大神加那志
玉骨は久高公房御獄の内岩下に埋葬する。
大宜味大神加那志
玉骨は大宜味村城村の城の下に埋葬する。
百名大神加那志
玉骨は百名村の下高岩の上穴に埋葬する。
大里大神加那志
玉骨は大里城の下岩の穴内に埋葬する。
居所は東大里西原村奴留殿内にある。
豊見城大神加那志
玉骨は豊見城瀬長城の上の穴に埋葬する。
居所は豊見城村の根屋の大屋の家にある。
具志頭大神加那志
玉骨は具志頭村の手先岩の下大穴に埋葬する。
四世免武登能大祖天帝氏の御子達
長男天孫氏中山王の始まり
二男北山按司本島按司の始まり
三男島尻世主本島百姓の始まり
長女君々と言う貴族の神職を掌る
次女祝々と言ふ田舎諸島奴留神の始まり
五世長男天孫氏
居所は玉城仲村渠の免武登能(ミントン)と言う家にある。
玉骨は佐敷新里村の上峰の口穴に埋葬する。
御子六世孫太子大君
居所は今帰仁湧川村根屋の新里と言う家にある。
玉骨は今帰仁湧川村境内クンザ堂童寺の穴内に葬られる。
その長男湧川按司は宜野湾謝名にある。
参考文献
古琉球三山由来記集
琉球祖先宝鑑
まとめ
四世天帝子加那志
免武登能大東大祖と言う。
山東省の内蓬莱県の人である。
免武登能城を建てた方が天帝氏です。
天孫氏は乙丑(605年)より始まり
宋朝の淳煕丙午(1186年)年首里大里天孫が滅びます。
利勇が滅ぼされ、源氏琉球舜天王の即位年(1186年)です。
四世天帝氏の妻天女神加那志
阿摩弥姑女神と志仁礼久男神の二神は
免武登能城(=ミントン、明東)を建てた三世免武登能大東大祖、天帝氏の曽祖父です。
志仁礼久、阿摩弥姑が実在し天帝氏免武登能大東大祖の曽祖父と言うことです。
志仁礼久の玉骨は佐敷新里村に埋葬されている。
最後まで読んで頂きありがとうございました。