2020-09

琉球按司系図

翁氏国頭親方盛順 大米須親方の御子米須里主と辺士名ヌルとの子

1689年(元禄二年)琉球王府が系図座を設けて家譜の保存 琉球王府の系図座に保管されていた家譜の総目録の 筆写本を収録した「氏集」の見方を学び、先祖の系譜作成の仕方を翁壽牂國頭親方盛順の氏集資料基に基礎を学ぶ
琉球按司系図

先祖ルーツ探し沖縄編自分探し高祖父、祖父、父、叔父の名前から

琉球王府の系図座の家譜の総目録 筆写本を収録した「氏集」の見方を習得し その知識「氏名」「名乗頭字」 自分・父・祖父・母の父・祖母の父などの名前から 共通(同じ)名乗頭字を基に先祖・ルーツの痕跡をたどり 自分の先祖を探しだし系図を作成の解説です
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大米須親方尚徳王三司官第二尚家尚円王の実兄です どんな方?

大米須親方第二尚家初代王尚円、弟に二男上間親方、第二尚家二代四男尚宣威王の長男実兄です。 御子に米須里之主、その御子里主子、その息子が大宗顧保安比嘉筑登之親雲上助輝です。 辺士名ヌルとの御子 翁氏国頭親方盛順がいます。
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汪英大城按司南城市大里南山王と南山王初代島尻大里按司との関係

南山王初代大里按司 南山城島尻大里間切糸満市大里に在る 初代大里按司が中山国の攻撃を防ぐ城として弟の「汪英大城按司」に築城させた。 島添大里間切南城市大里の城汪英大城按司の城がある。 南山国には島尻大里と島添大里の二人の王がいた
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北山大按司は誰なの仲北山の始祖大舜の御子伝説一族から読み解く

国頭郡誌では大昔国王天孫子の二男世の主となりて今帰仁に下り五代に至り利勇の乱で滅亡する之を大昔北山城主となす。 後舜馬順凞王の次男世の主となりて仲昔今帰仁城主に封ぜられ二世は嗣子なき為中山英祖王の子湧川王子を養子とする。 舜馬...
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勝連濱川按司の母中里親雲上長女ウト樽・察度王の妃一族とは

中里親雲上長女ウト樽の父中里親雲上、その父の伊覇按司 天孫惠祖世主,英祖王の御子大成王三男勝連按司の三代目を滅ぼし その後、源為朝御子大舜系の伊覇按司の三男勝連按司が引き継ぐ その御子中里親雲上の長男兄二代目勝連若按司がいる 天...
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太古今帰仁城主(=北山城主)前昔今帰仁城主、仲昔今帰仁城主、後昔今帰仁城主、今今帰仁城主の歴史

太古今帰仁城址(=北山城)は、国頭郡今帰仁間切親泊村(=今帰仁村字今泊)の丘の上にあります。 今帰仁城(=北山城)天孫時代からの按司の居城 口碑、伝説、野史で言われている太古今帰仁(北山)城主は、太古天帝子の次男です。 ...
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源為朝琉球一族、子孫の祖先供養場所・自分ルーツ資料照合基礎編

琉球では為朝は伝説ではなく、一族・子孫達の思いを 先祖の地をお訪れ、手を合わせ、供養と子孫繁栄のお願いをします。 各子孫の墓・手を合わせる根所があります。時代の流れでその習慣も薄くなり消えかかっています。 源為朝琉球一族、子孫...
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琉球王統第一尚家尚思紹王統の一族とその子孫

琉球・沖縄の血縁集団、門中は正月、旧盆に本家に集まり、 ご馳走を食べながら門中皆で 一族の健康、子孫繁栄の行事をこなします。 シーミー(清明祭)の時は、門中墓で一族が和やかにご馳走を広げ 墓の中の先祖に 先祖供養と一族の繁栄の姿を報告しま...
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椿説弓張月 源為朝の大和による琉球征服と天孫琉球の財宝・略奪

琉球の血を排除した「舜天丸(すてまる)」が王位に就き、大和による琉球征服が成し遂げられました。琉球からすると大和による琉球征服は達成されました。 英雄の源為朝が琉球の血を排除した戦いは達成され天孫琉球を攻め...
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