北山大按司は誰なの仲北山の始祖大舜の御子伝説一族から読み解く

琉球按司系図

国頭郡誌では大昔国王天孫子の二男世の主となりて今帰仁に下り五代に至り利勇の乱で滅亡する
之を大昔北山城主となす。

後舜馬順凞王の次男世の主となりて仲昔今帰仁城主に封ぜられ
二世は嗣子なき為中山英祖王の子湧川王子を養子とする。

舜馬順凞王の系統と英祖王の系統とを合わせ、六代の今帰仁城主時代を仲昔(中北山)時代としている

今帰仁史では「中北山は、源為朝の子、大舜から二代、舜馬順凞王の二男から二代、英祖王統の四代と合わせて八代であったと」と述べている。

中北山の始祖を大舜としている。
大舜は舜天の兄です。「今帰仁村史」

怕尼芝が今帰仁世の主を倒し北山王になる(1322年)までの北山地方は
中北山(仲昔)時代と呼ばれる

根謝銘城は一名上城とも称する

根謝銘城遺跡から1300年前後の城であると裏付けがなされている。

根謝銘城の繁栄期は遺物から中北山時代の後半の時期から
後北山の前半だとみられている。

根謝銘城遺跡から出土する青磁器・南蛮陶器は交易により持ち込まれた物である。

近くに屋嘉比港がある

初代北山国王怕尼芝が明へ入貢(1383年)する。

怕尼芝は羽地按司として親城(上城)で羽地間切を統治する領主であった。

北山王・北山大按司の居城は、今帰仁城でなく、一名上城・根謝銘城ではなかったのか

参考文献
大宜味村史 通史編

 

琉球祖先宝鑑に北山大按司がよく出てきます
誰なのか判別が難しい。

今回は北山大按司、誰なのか
北山大按司の御父天帝子とは

大舜の御子伝説一族から読み解く

北山大按司②-1
在所は今帰仁親泊村から同湧川村の根屋新里と云ふ家に引っ越しする。
本島按司の始めとして国頭九か所の村を訪問する。

後今帰仁城を築造しその城に住まわれる。
 
 

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北山大按司(大舜)②-1の御子 

長男北山按司③-2 在所は今帰仁湧川村の根屋新里と云ふ家

御子
長男北山若按司④-3 
 其の長男今帰仁按司⑤-4
 其の長男今帰仁若按司⑥-5

二男羽地按司③-2  
 在所は羽地親川村根所
 長男親川大主
 二男田栄良大主
 三男湧河大主
 四男松田大主

三男国頭按司③-2 
 在所、大宜味城村の根所
 長男大宜味大君 
 次男田港大主
 三男根謝銘大主
 四男屋嘉比大主
 五男本部大君③-2 
  在所、本部渡久地村根屋
  長男本部大主
  二男並里大親 
  三男浜崎大親
  四男伊豆見大親

名護按司③-2 
 在所名護屋部村根所
 長男城按司
 二男有銘大親
 三男兼久大主
 四男上原大屋子

宜野湾按司③-2 
 在所宜野湾村嘉手苅と云ふ家にある
 後代、東大里西村より入り相続する
 その後は同野峰村根屋から来ると言
 われる。

浦添按司③-2 
 在所は浦添仲間村に住むが
 後西原幸地村の城名の家に移動する
 長男幸地按司
 二男兼城按司
 三男東風原按司 

北谷按司③-2  
 在所北谷屋良村の根所にあり
 長男大川大主
 二男我那覇里主
 三男真壁按司
 他、越来按司

 
中城按司③-2 
 在所中城安谷屋村の熱田の家に在る
 長男西原棚原村の比嘉の家に在る
 二男豊見城我那覇村に在る
 三男南風原山川村に行き
 四男東風原友盛村に行く
 五男南風原本部村に行き
 皆それぞれ分家する。

豊見城按司③-2 
 在所豊見城長堂むら仲村渠家に有る
 長男長嶺按司
 二男嘉数村大殿と云ふ家にある。
 三男真玉橋村の大家の家にある。

具志川按司③-2 
 具志川田場村で一男一女を生み、
 後南風原宮城村で隠居し死去する。
 在所は田場という家なり
 死骨は嶽犬の神の後大木の下に埋葬
 する。
   
 其の後代の六代目
 長男南風原宮城村の大国に行く
 二男根屋の仲里に行く
 三男より相続する
 四男南風原宮平村の根神屋に行く
 五男南風原喜屋武村に行く

真和志按司③-2 
 在所、真和志上間安謝名と云ふ家
 長男識名按司
 二男同仲井間村城間と云ふ家にある
 三男南風原宮平村仲里の家にある
 四男国場村識名と言う家にある
 他にも5人の子がいる

今帰仁按司③-2 
 在所、美里伊波仲門と言う家にある
   
 今帰仁若按司⑥-5(上記の➅-5参
 照)
 長男越来按司
 其の長男美里按司
 其の長男伊波按司
   長男美里大君
   二男池原按司
   三男勝連按司
    与那城屋慶名村屋慶名とい
    う家にある
   四男平安名大主
   五男津堅大主
   六男北谷大主
   七男南風原大主

参考文献
古琉球三山由来記集 
琉球祖先宝鑑


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豊見城按司③-2 

父北山大按司(大舜)①-1
祖父天帝子=源為朝

御子
長男長嶺按司
 長男小按司
  豊見城嘉数村大嶺と云ふ家にある
 二男嘉数里主
  同村大殿内と云ふ家を相続する
 三男長嶺里主
  父を相続、後分家して死去
  後裔九代目は東大里汪応祖が三男並茂武按司を相続する
  在所、同長堂村の又吉と云ふ家にある

二男西平按司
 在所豊見城柄良村の根神赤嶺と云ふ家にある
 後代は下田と云ふ家
其の後裔八代目は汪応祖⑨が
四男豊見城按司を相続する

其の後孫は武寧王の孫国頭按司を相続する。
在所は同長堂村の又吉と云ふ家にある

三男嘉数大主
 在所豊見城真玉橋むら大屋にある
 御子
 長男宜保里主
 二男真玉橋里主
 三男饒波大主

四男神里大主
 在所、南風原山川根所にある
 後同金城村の座神南風原と云ふ家に
 移る。
 御子
 長男宮平大屋子
 二男稲福親雲上
 三男与儀親雲上

五男宜保大主
 在所、豊見城宜保村の志礼と言う家
 御子五男二女あり
 二男は座安村に住み
 三男は伊波村に住む

六男我那覇里主
 在所豊見城我那覇村んぽ川端と言う
 家にある

七男野波大主
 在所、豊見城野波村座安と言う家に
 ある
 今の大殿内にあり
 後九代目は宜野湾真志喜村の金満按
 司六男野波親方が入り相続する。

 金満按司(父奥間大親)察度王の弟

八男豊見城按司
 在所豊見城同村新城の家にある。
 御子
 長男同野波村名嘉地と言う家にある
 二男小禄赤嶺村松川と言う家にある
 三男同安次嶺村の根神家にある

 

汪応祖
 在所、東大里西原奴留殿内にある。
 死骨は同村の獄の内岩の上の墓に埋
 葬される。
 察度王⑨の弟、金満按司と唐大和往
 復して東大里城に御引越し大里の養
 子に入る
 高嶺国吉村にて一男一女を生み
 大里城に行く
 在所、高嶺大里村の神元と云ふ家
 御先祖の祖父も同所にある。
 
 源為朝から察度王は九代目⑨です。
 弟の金満按司も九代目⑨です。

 二男西平按司後裔八代目は汪応祖⑨
 が、四男豊見城按司を相続する

 逆算しますと北山大按司が大舜だと
 解かります。

古北山(北山若按司④-3)

在所は佐敷新里村の新地と云ふ家に在る
 
古北山は世三代の時、
大東より御渡来唐大和往復せられる。(北山若按司④-3) 
 
後九代目の後裔には
美里伊覇村美里按司の後裔の七代池原按司⑩-9
が相続する。

これより代々相続変わらず。
子孫繁栄する

御子は下記する

大屋比久大親
 長男屋比久里主
 二男沢岻大主
 三男赤嶺大主
 四男饒波大主
 五男上間大主

眞境名大主
 在所は大里眞境名根所

稲福大主
 在所、大里稲福村根神屋なり 
                 

新城大主
 在所、具志頭親方の家にある

真和志按司
 在所、浦添多和田の地組初められて
 その村に住む。
 内間と云ふ家なり。御子は五男二女

屋比久里主
 在所、豊見城伊良波村の地組初めら
 れその村に住む。
 御子は四男三女
 長男は宜保村に行き次男が相続する

東江大屋子
 在所、真壁東江村奴留殿内徳門と云
 ふ家にある。  
 後代に尚徳王の外子真壁親雲上が入
 り婿となる。

越来按司
 在所、越来村世持と云ふ家にある、
 子は七男二女
 長男は中城伊集村に行き二男が相続
 する

謝名子
 在、今帰仁謝名村座神にあり
 後代世子無く
 北山王の子の三男今帰仁里主童名樽
 金を養子にする

北山按司
 在所、大宜味一名代(てんなし)
 一名上城・根謝銘城の世主立初めら
 れた同村の根所にある。
 御子は五男一女

仲里按司
 在所、久米島仲里村根屋にある
 御子五男三女
 長男久米島嘉手苅村で住む。後死去

伊集親方
 在所、中城伊集村で隠居する大城と
 云ふ家也。
 御子五男一女
 後代は中城奥間村より入り相続する

安里大屋子
 在所、真和志牧志村の座神並里と云
 ふ家
 御子七男二女
 昔北山の後九代に世子なく
 美里伊波村よりくる池原按司⑩-9が
 相続する。

茂久良大主
 子孫は喜屋武山城村山里の家で隠居
 後摩文仁米須村湾と云ふ家に入る。
 二男腹は中城間切り島袋村仲尾次と
 言う家にある

まとめ

北山大按司の御子伝説を解読し大舜が北山大按司だと解けました。
私見ですが。
北山若按司④-3の御子
北山按司⑤‐4 在所、大宜味一名代(てんなし)村の世主立初められ項目が出ている。

北山按司の居城が根謝銘城(一名上城)が考えられます。

古北山(北山若按司④-3)は世三代の時、大東より御渡来唐大和往復せられる

海外・大和貿易も活発に行われていたと思われます。
根謝銘城遺跡から青磁器・南蛮陶器の出土があります。
交易で持ち込まれていると専門の方々は推測しています。

北山大按司大舜の北山王国は、今帰仁城とは区別してみた方がいい様に思えます。
私見ですが。
最後まで読んで頂きありがとうございます。




 

仲地弘和
家系
氏集首里・那覇
八番31頁 白氏 名乗頭字・信
大宗白楊基 金城親雲上信懐
家紋:武田菱、四つ割菱
勝連濱川按司御子二男勝連「屋慶名主(楊布主)」

前原高校を経て
琉球大学農学部卒業

調査に月日を重ね続けるなか
うるま市郷土地元と琉球の歴史に興味が湧き
資料を集め30年が過ぎる。

その資料を再考察し自分が感じた事
先祖の歴史を基礎に、
琉球の先人達
郷土史家伝説の資料から導き出した
自分独自の琉球歴史観を記しています。

少しでも琉球郷土史に興味を抱いている方々の
参考にしていただけたらと思い書いています。

学問的に歴史研究家
先生方に師事し学んで無いので
多々間違いも多くあるものと思います。
参考程度で読んでもらえたら幸いです。

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