1458年 勝連阿麻和利軍が首里に反旗を揚げてから、
間もなく王府軍の鬼大城総大将、勝連城を総攻撃
阿麻和利軍は劣勢の中、火攻めと鬼大城の激しい攻撃で傷つき
燃え上がる炎の中で誰もが助からずと・・・皆が思っていました。
燃え上がる炎の中に飛び込んできた南風原大親、
特別の仲間しか知らない秘密の抜け穴から脱出
勝連に交易に来ていた倭寇船に救出され、
焼けど、切られた傷を癒し、倭寇として再出発
九州の博多、堺、大阪までの広い内海の島の一つが倭寇仲間の根城でした。
参考文献:続編「琉球王女 百十踏揚」走れ思徳
倭寇の元締め大内政弘殿とは
文明10年(1478年)には九州に出陣して少弐氏と戦い、豊前・筑前を確保した。
安芸、石見の豪族や国人らを臣従させ、北九州や瀬戸内海の海賊衆を平定する。
倭寇、阿麻和利利組も倭寇の元締め大内政弘殿の配下であった。
琉球に居た漂着朝鮮人金非衣ら三人
琉球に交易で来た博多の新伊四郎の船で、朝鮮に帰るべく琉球を去った。
琉球から送還された漂流朝鮮人金非衣らを載せた新伊四郎の船
大内氏の筑前出兵時9月25日に博多に着いたのでした。
大内政弘軍が出兵する様を見ていた者が、もう一組あった。
阿麻和利の一行十数人であった。
参考文献:続編「琉球王女 百十踏揚」走れ思徳
倭寇阿麻和利の検証
新伊四郎、済州の漂流人金非衣等三人が博多に着いた
大内氏の筑前出兵時の状況は李朝実録 琉球国史料で細かく確認できます。
大内政弘軍が出兵する様を見ていた阿麻和利の一行十数人の記録は確認できません。
参考資料:李朝実録 琉球国史料(六)成宗実録(三)に記載されています。
大内氏に追われ対馬に逃れていた少弐政資が、対馬守護宗貞国の応援を得て文明元年(1469年)筑前に入り、
大内軍を破って太宰府に入り旧領を復した。
文明十年(1478年)大内政弘が筑前を制圧し、少弐政資は肥前に逃れた。
参考資料
李朝実録 琉球国史料(六)
成宗実録(三)
十年(成化十五年・1479)6月16日 済州の漂流人金非衣・姜茂・李正等三人、琉球国より還りて言う
十年六月二十日済州の漂流人金非衣等三人を済州に送還す。
新伊四郎 二年の役を除し、半年の料及び過海の糧を給する命ず。
倭寇阿麻和利の行方
1458年の阿麻和利の乱から20年の歳月が過ぎ
1478年の大内政弘軍が出兵する様を倭寇阿麻和利の一行は見ていた
大内氏に追われ対馬に逃れていた少弐政資が、対馬守護宗貞国の応援を得て文明元年(1469年)筑前に入り、大内軍を破って太宰府に入り旧領を復した。
時を経て文明十年(1478年)大内政弘が筑前を制圧し、少弐政資は肥前に逃れた。
倭寇阿麻和利が生きている証拠文献
1467年十月丁己、金附、琉球国人を以て推問するの書契。
其の書契に曰く、琉球漂流人七人其の名は、一は豊加那と曰ひ、二は阿加旦と曰ひ、三は*無那と曰ひ、四は他*者那と曰ひ、五は危那と曰ひ、六は(層)*丑里と曰ひ、七は膝其と曰ふ。
一人目は、豊加那と曰ひ、その豊は豊前、筑前の守護 大内政弘軍の庇護下の豊前からの豊なのか
そうで有れば、その時、倭寇として活躍していたと思われます。
二人目は、阿加旦と曰ひ、現在も阿麻和利の子孫達がアカーを英雄として誇りにしています。
三人目の*無那、四人めの他*者那の*は記載なし
五人目の危那は喜名(キナ)でしょう。
六人目の(層)*丑里は平安座に今も住んでいる丑番(ウスバンヤー)との関係者かも
七人目の膝其と曰ふは、宮城島の手前はヒジャと呼ばれている。
新伊四郎と漂流人金非衣は、船が難破し豊加那等が朝鮮で保護されている時
対面し顔見知りの関係である。
参考資料:李朝実録抄 燕山君日記
倭寇阿麻和利が生きている証拠文献
大内政弘殿の最後
1478年に九州に出陣して少弐氏と戦い、豊前・筑前を確保する。
安芸、石見の豪族や国人らを臣従させ、
北九州や瀬戸内海の海賊衆を平定するなど西国の支配権確立に力を傾ける。
政弘の留守中に陶弘護が領国を掌握し、政弘と弘護は対立を深めていく。
文明14年(1482年)山口の政弘の館で陶弘護が吉見信頼に殺害される
重臣陶弘護が消えたことで、政弘は家中を掌握することに成功
1487年、9代将軍・足利義尚の六角高頼討伐(長享・延徳の乱)に家臣・問田弘胤を代理として参陣させた。
1491年10代将軍・足利義稙に従い再度の六角高頼討伐に従軍するため再び上洛。
1492年には嫡子・義興も参陣させている。
1494年、中風が悪化したため義興に家督を譲って隠居。1495年に死去した。享年50
参考資料
大内政弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まとめ
倭寇、阿麻和利、南風原大親と6人の仲間たちは生きていました。
大内政弘殿は1495年50歳まで生き抜いています。
倭寇、阿麻和利が生きて大内軍で戦い続け
活躍したのならば阿麻和利の仲間たちも
新しい名前と役職をもらい
新しい家族を築き子孫もどこかで生き続けているでしょう。
最後まで読んで頂きありがとうございました。