阿麻和利勝連按司誕生の未だ知られざる権力闘争の勝連城の歴史

琉球源氏本流の城琉球按司系図

天孫25世が追放され、天孫琉球国、勝連城にも天孫の主が住んでいました。

逆臣利勇(源為朝)に滅ぼされた時、

思金松兼王天孫25世の三男勝連王子慶良間島座間味間切阿真村逃げ隠れ
死骨は座間味村東方海浜に葬られる。
御神主は座間味村の奴留殿内に御持なり。

一説には、座間味村の大屋宅に祀られるという。

参考文献:古琉球三山由来記集。p78、79

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天孫勝連城の始まり

天孫氏後裔恵祖主、仲昔中山英祖王、
      
太子大成王その五男勝連王子(1)、その子勝連按司(2)、その子ども勝連按司(3)

源為朝系の勝連按司

北山大按司、子今帰仁按司、子越来按司、子美里按司、子伊覇按司、長男美里大君兄弟三男勝連按司(4)が継ぐ
三男の子勝連若按司(5)(滅ぼされる)
その兄弟中里親雲上(その長女ウト樽、察度の妃、具志川王子、勝連濱川按司の母)

 三男の子勝連若按司は伊覇按司の配下に追われる
 平敷屋仲門家には五代勝連若按司は平敷屋大主に守護されて城を脱出したが、
 平敷屋神の岬(半島の東端)に追いつめられて殺された。という口碑がある
    
 勝連村誌p12、13

 勝連若按司の子長男は玉城村布里村、二男は豊見城高嶺村に行く 

天孫系源氏本流盛・清の勝連按司   

大成王兄弟二男湧川按司、その子湧川按司(北山世主)、長男今帰仁按司丘春、その長男今帰仁城主、

その長男仲昔今帰仁仲宗根若按司(は尼芝に滅ぼされる)その兄弟今帰仁子が美里按司の子伊覇按司の娘を妻に迎え、生んだ子が伊覇按司を継ぐ、兄弟に山田按司がいます。

今帰仁子の子伊覇按司その子六男、勝連城主(6)がいます。

勝連の地域や城の内・周辺で民・勝連の武士が分裂

源為朝、大舜、義本王系の波武田、平家 源氏支流勝連と源頼朝の本流源氏山田、中城、盛・清の流れと勝連城・権力の奪い合いの戦いが繰り広げられていました。
      
今帰仁子の子伊覇按司、その子源氏本流の勝連城主(六代)の誕生を実現しました。

察度王の子勝連濱川按司 


伊平屋大主(波武田)の子孫察度王と源為朝系北山大按司の子孫
伊覇按司の三男勝連按司の子中里親雲上

中里親雲上の娘 長女ウト樽
察度の妃ウト樽は、察度王の子 具志川王子を生みます。

中里親雲上の娘長女ウト樽はお父さんの兄弟勝連若按司が平敷屋神の岬(半島の東端)に追いつめられ殺されました。

 

中里親雲上の娘長女ウト樽は
お父さんの兄弟勝連若按司を平敷屋神の岬(半島の東端)に追いつめられて殺した 
源氏本流の六代勝連按司から政権を奪いかえします。
    
七代目勝連濱川按司の誕生です
その子八代目勝連濱川按司とつなぎます

九代目養子勝連望月按司となります。

その養子阿麻和利勝連按司と続きます。 

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源頼朝の本流源氏盛・清の一族が生んだ阿麻和利勝連按司

源頼朝の本流源氏一族の阿麻和利勝連按司の誕生です
源頼朝の本流源氏山田、中城、盛・清の付く屋慶名大親が阿麻和利りの養父になります。

政権転覆、勝連を奪う周到な計画の下で実行に移され阿麻和利勝連按司が誕生しました。
  
     
琉球国勝連は琉球では非常に栄えた国でありました

天孫琉球は利勇、源為朝に滅ぼされ3000年の蓄財宝など全て奪われ、

我等琉球源氏の原点源為朝は琉球に来た仲間たちと琉球で生んだ子孫だけ残し
仲間と宝を船に積み込み消えました。

運べない宝の一部は子孫の庭から黄金財宝が出ています。

天孫琉球の子孫の一部の御子は逃げ天孫王25世の王、一族は殺され滅びました。

源氏の勝連王国

我等源氏の勝連王国が生まれ
3000年蓄積の宝・文化すべて失なった貧しい勝連王国
  
権力闘争の勝連王国の始まりです。 
勝連濱望月按司、阿麻和利勝連按司とつなぎ

1458年で源頼朝本流源氏阿麻和利勝連按司の歴史を閉じました。

舜天王1187年から初代勝連濱川按司(1418年死亡)まで231年

望月勝連按司の子供は男は一人(夭逝)、女は二人一人は幼くして亡くなり、末娘だけ残る。
かな阿麻和利20歳の時(1443年)望月按司の養子になる。

阿麻和利望月按司の養子から三年後
1446年望月按司亡くなる。

初代勝連濱川按司から1446年望月按司死亡の28年間
勝連が久しぶりに繁栄を周囲に見せつけた時代でした。

繁栄を地元にもたらした望月按司・・・歴史は残酷ですね

それから源頼朝の本流源氏一族に支えられた阿麻和利勝連按司
1458年の阿麻和利の乱で阿麻和利勝連按司が崩壊

12年間の阿麻和利勝連按司が崩壊するのは誰が予測できたのか。

阿麻和利勝連按司は勝連に何をもたらしたのか。
 
何が今の時代のヒーローにしたのか・・・


     
   

まとめ

天孫琉球時代に蓄えた琉球の文化遺産・財産、
今の我等源氏琉球人の先祖が全てを奪い

また1187年舜天王時代から源氏琉球が蓄えてきた文化遺産・財産
島津が奪い
島津が源氏琉球の文化遺産を保存しているのでしたら、未来の源氏琉球に返してもらいたいですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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仲地弘和
家系
氏集首里・那覇
八番31頁 白氏 名乗頭字・信
大宗白楊基 金城親雲上信懐
家紋:武田菱、四つ割菱
勝連濱川按司御子二男勝連「屋慶名主(楊布主)」

前原高校を経て
琉球大学農学部卒業

調査に月日を重ね続けるなか
うるま市郷土地元と琉球の歴史に興味が湧き
資料を集め30年が過ぎる。

その資料を再考察し自分が感じた事
先祖の歴史を基礎に、
琉球の先人達
郷土史家伝説の資料から導き出した
自分独自の琉球歴史観を記しています。

少しでも琉球郷土史に興味を抱いている方々の
参考にしていただけたらと思い書いています。

学問的に歴史研究家
先生方に師事し学んで無いので
多々間違いも多くあるものと思います。
参考程度で読んでもらえたら幸いです。

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