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沖縄県うるま市ホワイトビーチ沖、右側海底にある構造物は何

沖縄県うるま市ホワイトビーチ海上右側、海底に映り込む構造物 船の残骸なのか、それともGoogle Earth の写真の私の調べかたの間違いなのか ホワイトビーチから海に向かい右側、上から確認すると白の線、海底に見える物体 拡大する...
ウガヤ朝琉球國

琉球本島勝連沖、写真顔の海底人物彫刻、海底から琉球本島を見つめる横顔

Google Earthの琉球本島うるま市勝連沖写真顔の非常に大きな海底人物彫刻 もしそれが人物彫刻だと判明しましたら現代人の今の文明でも大きな彫刻を彫るのには非常に難しい感じがします。優れた優秀な文明の人類でないと彫ることが出来ない...
琉球按司系図

健堅大親は義本王の子本部大君その子本部大主、またその子本人である

義本王の御子本部大君と満名子は同人物である。本部大君の長男本部大主は健堅大主である。本部大主の御子に健堅大親がいて兄弟姉妹に志慶真乙樽がいます。健堅大親の子中城親雲上その御子三男も健堅大親と呼ばれています。 本部大君(満名子)につい...
琉球按司系図

東名大主は大舜(初代)から三代目古北山の御子眞境名大主である。

東名大主、別称(眞境名大主) 子の(大国の大神、与那原大屋子)共 大東より古北山と連れて 本島へ渡りたる方である。 古北山とは世三代の時 大東より渡来 唐大和往復せられる方。 大舜(初代)から三代目である。 東名大主は古北山の御子 眞境名...
琉球按司系図

金満按司は国頭奥間村に治金術を伝えた方で、奥間大親の御子である。

最初の金満按司免武登能太祖の次男北山大按司の子今帰仁按司の七男沢岻世主その御子三男金満按司がいます。 次に源為朝の御子金満按司がいます。母は北谷村の奴留である。在所、北谷村の桑江と言う家にある。 源為朝の御子に中城按司がいます...
琉球按司系図

喜屋武久子、外間子、攀安知王の御子、恩師大里按司五姓御師賓の業績

喜屋武久子は大里按司五姓御師賓 の教育を授けられて成長する。大里林英仙芝公先生の父は仲昔今帰仁城主である。 大里林英仙芝公先生に隨いて唐國に渡り学ぶ 武勇、耕農具の細工、琴や三絃歌・笛・笙(しょ...
琉球按司系図

並里按司は義本王の孫、伊平屋大主の御子五男、察度王の先祖である。

一世志仁礼久・阿摩弥姑の御子 二世天美人加那志・巣出美人加那志の御子 三世天済大神加那志 玉骨は佐敷新里村の東方 獄天済と言う所に埋葬される。 御子 長男並里按司 子は七男おると伝え聞く。 琉球天孫氏の父母 四世天帝子...
琉球按司系図

北山王で北山世主湧川按司の父、養子湧川王子、御子北山王、今帰仁按司

北山王で北山世主湧川按司の父、湧川王子血統は大里天孫氏の後裔惠祖世主の御子英祖王の二男である。 父:湧川王子祖父:英祖王、曾祖父:惠祖世主の血統の記載式が理解し易いです。 今帰仁按司、北山按司かどちらかの養子になります。 そこで父、祖...
琉球按司系図

大里大君、源為朝の御子で東大里村の屋敷囲いを始められた方

源為朝の御子で舜天王、大舜の兄弟です。兄弟舜天王は1166年生まれで、1187年に即位し1237年(72歳)で死去する。その時代は、舜天王代と同じ時代背景と想像できます。 東大里村の東大里グスクは、島添大里按司によって増改築されたグ...
天孫琉球

島尻世主、別名王農大主,免武登能天帝子三男、天孫氏の弟である

天帝子、免武登能大東大祖の三男島尻世主、王農大主とも呼ばれる。琉球の島々を巡り百姓を民に教え始めた方であり、天孫氏の弟である。 琉球天孫は605年に始まり、二世達の時代も650年前後,活躍したものと思われます。部落を開墾・開発した時...
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