天孫氏の後裔が琉球の地で生き、業績を知ることで
生きた時代の状況が少しずつ判るかもしれない。
後裔が生きた年代もハッキリしませんが、分かりしだい
追加記載するつもりです。
後裔人物を中心にして調べながら
少しずつ判明したデータを追加していくつもりです。
今回は天孫氏三世百名世主の御子
四世百名大主の子
五世達の業績に関し書いてみました。
百名大主五世御子達の業績
・長男和名大主
玉城和名村を初めて立ちあげた方である。
・三男仲村渠大君
中華山東省から
豚、鳥を持ってきて養い始め
琉球に地に
食として広めた方である。
・四男前川按司
玉城前川村を初めて立ち上げた
方である。
東風平友寄村も初めて立ち上げた
方である。
中華の唐から唐芋の種子を
持ってきて
本島の人に教え広めた方である。
芋が本島の人民の食物となるのに
貢献した方である。
・六男船越按司
玉城船越村を初めて立ちあげた
方である。
・七男多良名按司
具志頭村を初めて立ち上げた
方である。
・八男中城按司
中城奥間村を初めて立ち上げた
方である。
・十男仲里按司
久米島諸々の山を開き村々の地組し
初めて立ち上げた方である。
・十一男宮城大主
浦添宮城村、屋冨祖村を初めて立ち
上げ作られた方である。
百名大主
在所、玉城仲村渠のミントンと言う家にある。
父百名世主
祖父百名大君
曽祖父天孫氏
在所、玉城仲村渠のミントンと言ふ家にある。
玉骨、佐敷新里村の上峰の
口穴にある。
百名大主御子五世達
長男和名大主
玉城和名村立初められ、
垣花村の世持と言う家にあるが。
後裔四代に玉城村の普天間と
言う家から世子が入る。
後、又世子無く久高大主五代の
孫より養子とり相続する。
二男垣花按司
長男当山大主、
二男儀間大主
小禄儀間村に行く
三男越来大主
越来呉屋村に行く
四男潮平大屋子
兼城の兼城村の幸地と言う家
にある
後、西原幸地村から入来て
世子となる。
三男仲村渠大君
父を相続する。
本国民俗人が死亡すると浜で
死体を皆で喰う風習あり。
大君は免登から豚を持ち来たりて
死者に替えて
豚を殺して死体の代わりに
喰はしたりと
これより鳥豚の始め也と言ふ。
御子は十二人おる。
四男前川按司
玉城前川村立始められた方である。
一男一女をもうけた後、
東風平友寄村地組仕立て置かれて
その村に住居する。
在所、座敷と言う家にある。
兄と共に唐、往来し
唐芋の種子を持ち来たりて
人民に教えられた方である。
土帝君の神職の始めた方
本島の芋を始めて諸人民の食物
とした方である。
在所は北谷野国村の根神と言う
家にある。
六男船越按司
玉城船越村立初められた方です。
在所は当山と言う家にある。
七男多良名按司
具志頭同村の地組を初められ
具志頭新城に住居する。
在所は根神屋で今の石原と言う家
である。
長男多良名按司
後裔十二代に東大里の汪応祖の
三男西平按司が入り相続する。
八男中城按司
中城奥間村地組初められた方
である。
在所は奥間村の仲村渠と言う家
である。
御子
長男奥間主
二男安里大屋子
三男上間大主
九男具志頭按司
具志頭仲座村に住む。
後代は真壁眞榮平村で隠居する。
在所は根神と言う家にある。
十男仲里按司
久米島の諸々の山を開拓し
村々の地組を初め置かれた方
である。
仲里村に住居する。
在所は根屋と言う家にある。
十一男宮城大主
浦添宮城村、屋冨祖村の地組を
初められた方
後、真和志天久村の志礼川と言う
家で隠居する。
十二男内間大主
真和志天久村に住む。
在所は原川と言う家にある。
後十二代は与湾大親の長男が入り
相続する。
参考文献
琉球祖先宝鑑
著者:慶留間知徳
まとめ
彼らが立ち上げた地で
現在の我々琉球人が生活して
いること。
不思議ですが現実です。
昔、オジー、オバアー達と食べた芋、肉も当たり前の様に食べて
いましたが、
彼らが琉球の民に対する思いの
込められた
食べ物だと、分かりました。
芋を食べながら生きた時代もあり
彼らの業績に感謝し冥福を祈ります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。