天孫氏は免武登能天帝氏の長子であり、琉球天孫の始祖であります

hedo-tennson天孫琉球

天孫氏は免武登能(ミントン)天帝氏の御子であり、「琉球国君の始め」琉球天孫の始祖であります。
中国隋の国、煬帝から沖縄に与えられた名は「流求」です。

今回は琉球天孫の初代始祖は誰なのか記述しました。

中国の琉球天孫王国は、中国隋の国、煬帝の時代
乙丑(605年)より始まり宋朝の淳煕丙午(1186年)
源為朝の御子舜天による利勇の滅亡で終わります。

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免武登能(ミントン)天帝氏は何処から来たのか

山東省の内登洲府蓬莱県から中国人三人が明東の内大東島と言う島に漂着した。
それから瀬長島に渡り、今の高嶺間切り大里村の西表の南嶺、後瀬固と云ふ場所にきた。
布屋を作り住居とした。

一人の姓は姜風氏、名は須鳳と言う。
又の名は阿武理と云ふ。
明東阿武理大祖とも云ふ。
字名は才花という。
江西の内彰州府寧都県の人である。

二人目は姓は姜氏、名は龍玉と云ふ
又の名は免武登能大東大祖と言う。
その字名は唐度と言う。
山東省の内登州府蓬莱県の人である。
 
三人目は姓は己氏、名は公房と言う。
字名は嘉保と言う。
河南の内南陽府唐県の人である。

三人は自国中国に戻り、朋友三十三人を引き連れて再びきた。

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免武登能城筑城

それから免武登能大東大祖が琉球に中国の城「免武登能城」を建てました。

琉球の地で中国の城【(免武登能(ミントン)城】を建てた方を天帝氏と言ふ。
その免武登能天帝氏の長子が天孫氏です。

琉球天孫の始祖、天孫氏

居所は玉城仲村渠のミントン(=免武登能、明東)と言う家にある。
玉骨は佐敷新里村の上峰の口穴に埋葬する。

天孫氏の御子二世達

孫太子大君(二世天孫氏)
 御持は今帰仁湧川村根屋新里と言
 う家にある。
 玉骨は湧川村境内クンザ堂童寺の穴
 内に埋葬する。
 長男湧川按司(三世天孫氏)
 宜野湾謝名に在る。      

玉城大君
 居所は玉城村の根所にある。
 玉骨は玉城村東の方、岩の下穴に
 埋葬する。
 御子は七男在る。三男は伊是名村で  隠居する。 
 四男は慶良間渡嘉敷村に隠居する。  御子は五男一女おる。
   
 二男は天久大神、居所は真和志
 天久村の原川と言う家にある。
 御子は九名いるが皆島里に
 分家する。

百名大君
 居所は玉城仲村渠免武登能(ミントン)と言う家にある。
 大君は父天帝氏を相続する。
 長男百名世主、
 二男真和志大神(居所、真和志安謝
 村根屋の比嘉と言う家にある。
 後真和志多和田村嘉手納子の三男が
 相続する。)

三男内間大主 
 居所は小禄村の内間と言う家にあ
 る。
 後、与那城屋慶名村の仲村と言う家  の元祖具志川王子の六男饒波親方が  相続する。
 その後、小禄安次嶺村の安里と言う  家の元祖
 護佐丸の外子中城西威奴留殿内から  来る上原大屋子の長男が相続する。
 四男大嶺大屋子、五男野国大神がい  る。

天久大君
 居所は真和志天久村座神の天久と言  う家にある。
 御子は七男三女おる。

佐敷大君
 居所は佐敷村の根屋にある。
 御子は九男四女いる。

大里大君
 居所は東り大里西原ノロ殿内に
 ある。
 御子は八男一女おる。
 大君は双子で生まれる。
 一人は伊祖大神浦添安波茶小湾と言
 う家にある。

南風原大君
 大君は村間切りの獄山森仕立て置か  れた方である
 居所は南風原宮城村の根屋ノロ殿内
 にある。
 玉骨は獄内に埋葬される。
 御子は十四名おる。

具志頭大君
 居所は具志頭村の根屋にある。
 玉骨は具志頭村の手先大穴の内に
 埋葬される。
 後、後裔大里按司の七男与那城里主
 が相続する。
 又後末は本部健堅の大親の長男が
 相続する。
 その後与那城屋慶名村中村と言う家
 よりくる新城親方が相続する。

真壁大君
 居所は真壁村根所頭屋と言ふ家に
 ある。
 御子は七男おる。

高嶺大君
 居所は高嶺大里村の根屋の神元と
 言う家にある。
 玉骨は南山城内西の方、獄内の埋葬
 される。
 御子は十七名おる。

兼城大君
 居所は兼城阿波根村の根所にある。
 玉骨は阿波根村の城の下の穴内に
 葬られる。
 御子は九男三女いる。

豊見城大君
 居所は豊見城村の根屋の大屋と
 言う家にある。
 玉骨は豊見城村の城の東方の下穴内
 の墓地に埋葬される。
 御子は十二男三女おる。

小禄大君
 居所は小禄田原村の根屋の松川と
 言う家にある。
 玉骨は金満獄の北方の岩下戊亥
(北西)向き穴内に埋葬する。
 後裔は北山から来た元祖を
 相続する。
 後、南山王の孫豊見城按司の長子が
 相続するが
 世子無く護佐丸の外子中城掟親雲上
 が相続する。

東風平大君
 居所は東風平村の根屋にある。
 玉骨は東風平村の獄の内岩下に埋葬
 される。
 御子は九男七女いた。

真和志大君
 居所は真和志多和田村の根屋に
 ある。
 後、世子無く英慈王の御子浦添王子
 が相続するが死去する。
 後、北谷嘉手納より来た方が元祖を
 相続する。

浦添大君
 居所は浦添安波茶座神の安波茶と
 言う家にある。
 後九代目には北山王の五男浦添親方
 が相続する。
 玉骨は浦添極楽山内、左方の墓に
 埋葬される。

大首里の大神加那志
 玉骨はソノハン御獄内に
 埋葬される。
 
島尻大神加那志
 玉骨は南山城内の公房獄の内に
 埋葬される。

久高大神加那志
 玉骨は久高公房獄の内岩下の
 穴内にある。
 
勝連大神加那志
 玉骨は勝連公房獄の中にある。

今帰仁大神加那志
 玉骨は今帰仁公房獄の内に埋葬
 される。

瀬長大神加那志
 玉骨は瀬長公房獄の上、黒岩の下に
 埋葬する。
 
座間味大神加那志
 玉骨は慶良間公房獄の内にある。

本島大神七の思妹(ウミナイ)の獄神の御獲りの始めである。

琉球天孫氏の初代から三代まではわかりました。

初代天孫氏
二代目天孫氏は孫太子
三代目天孫氏は湧川按司
四代目天孫氏は孫太子御子国頭按司
と推測しています。調査中
琉球天孫二十三、四代目まで調べる道のりは遠いですが、
調べないと琉球の歴史が見えないから、楽しみながら調べます。
605年からの免武登能琉球天孫の歴史が少し見えてきました

参考文献
古琉球三山由来記集
琉球祖先宝鑑

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まとめ

天孫二十五世琉球天孫王の御子については詳しく記述があります。
しかし天孫一世から二十三、四世までは詳細がわかりませんでした。
天孫氏の世、乙丑(605年)より始まり、誰なのかも理解が難しく
歴史がぼやけて見えませんでした。

今回は琉球天孫氏が生まれてくる過程、免武登能天帝氏の御子天孫氏が
琉球天孫の始祖だと判明しました。
 
天孫二十三、四世までの解明の道のりはまだまだ続きますが
明らかにするのを楽しみながら
進めます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

 


仲地弘和
家系
氏集首里・那覇
八番31頁 白氏 名乗頭字・信
大宗白楊基 金城親雲上信懐
家紋:武田菱、四つ割菱
勝連濱川按司御子二男勝連「屋慶名主(楊布主)」

前原高校を経て
琉球大学農学部卒業

調査に月日を重ね続けるなか
うるま市郷土地元と琉球の歴史に興味が湧き
資料を集め30年が過ぎる。

その資料を再考察し自分が感じた事
先祖の歴史を基礎に、
琉球の先人達
郷土史家伝説の資料から導き出した
自分独自の琉球歴史観を記しています。

少しでも琉球郷土史に興味を抱いている方々の
参考にしていただけたらと思い書いています。

学問的に歴史研究家
先生方に師事し学んで無いので
多々間違いも多くあるものと思います。
参考程度で読んでもらえたら幸いです。

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