島尻世主、別名王農大主,免武登能天帝子三男、天孫氏の弟である

王農大主別名島尻世主天孫琉球

天帝子、免武登能大東大祖の三男島尻世主、王農大主とも呼ばれる。
琉球の島々を巡り百姓を民に教え始めた方であり、天孫氏の弟である。

琉球天孫は605年に始まり、
二世達の時代も650年前後,活躍したものと思われます。
部落を開墾・開発した時代もその頃でしょう。

免武登能大東大祖の三男島尻世主
別名王農大主とも呼ばれ
御子達の二つの違う伝説があり
どちらにも後裔がいますから
同じ立場で記載しました。

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島尻世主(=八重瀬按司)の伝説

名は八重瀬按司とも言う。
居所は東風平友盛村根所である。
玉骨は八重瀬獄の岩の下穴に
埋葬される。
本島の百姓を始めた人である。
島々を巡り諸民に農業を
教えられた方。
後東風平友盛村(冨盛村)で
隠居する。
天孫氏の弟である。
 

父は天帝子(=免武登能大東大祖)

天帝子御子
長男天孫氏、
二男今帰仁城主(今帰仁大按司)
三男王農大主(島尻世主)
長女君々加那志
次女祝女加那志

島尻世主の業績

本島の島々を巡り農業の仕方を教えた方である。

南城市東風平冨盛(=友盛)には
八重瀬按司の城の遺跡があります。

先祖が立派な業績を成し
東風平友盛村根所、拝所を守り続けている家・子孫達が現在もおります。

農事の事を
教える方がいれば
その農業を教わる民もいる。

そこに古来から住み続けている
民はどんな民だったのか、
中国から来た天帝子と違う琉球の民だったのか
これからの琉球の民の調査も
課題です。

免武登能大東大祖の三男島尻世主の御子二世達

長男東風平
 母は東風平東風平村の根所の
 娘である。
 居所は大里平川村を立初め、
 その村に住む

二男友盛大神
 母は友盛の根所の根屋の娘である。

三男与那城按司
 母は与那城村の根所の娘である。
 兼城阿波根村の世立て始められて
 その村の根所に住まわれる。

四男具志頭按司
 母は具志頭具志頭村の根屋の
 娘である。
 居所は久米島島尻の世立始められて
 その村で隠居する。

五男久米次按司
 母は摩文仁村の根所の娘である。
 子八男一女
 二男は伊平屋島尻村で隠居する。

六男大里主
 母は高嶺世主の娘である。

御子二世の業績

長男は大里平川村作りを始めた
方である。
三男与那城按司は兼城阿波根村を初めて作った方である
四男具志頭按司は、久米島島尻村を初めて立てた方である。

琉球天孫氏弟島尻世主(=八重瀬按司)の御子二世達
琉球天孫は605年頃に始まりますから

二世達が部落を作ったのは
650年前後として推測することができます。

琉球の地に住みながら
最初に誰が部落を立ち挙げたのか
余り知られて無く
大事な歴史です。
     

王農大主(=島尻世主)の伝説

母、今帰仁御神
王農大主は今帰仁のプトキヌイッピヤ
と言う洞窟内で誕生した。

王農大主(父天帝子)の御子
1.長男王農巴志毎
居住は国頭奥間、同地で隠居し薨る。
御子
 長男王農真呉留
 居住は国頭の天仁屋である。

 その長男の御子
 長男王農美留姞
 居住は国頭久志村に住む
 そこで世を終わる。
 天孫氏四代目である。
 
 長女王農阿武理

 二男王農白樽
 居住は島尻具志頭間切り中座村
 に住む
 中座村の大田の家に神主を祀る。

2.二男王農子
 居住は羽地寒汀那。
 同地で隠居し薨る。
 
 御子
 長男王農大親
 居住は羽地間切田栄良村に住む。
 神主と祀られる。
 田栄良村の八登腹殿内にある。
 
 二男王農真加禰
 居住は恩納間切り真栄田村にある。
 そこで世を終わる。
 神主を祀るのは真栄田村の与那下の
 家・その場所にある。
  その御子
  長男王農伊奴姑
  長女王農志良美姑
  次女王農宇嘉

 三男王農子
 居住は豊見城間切り瀬長村である。
 そこで世を終わる。
 神主は瀬長村にある。
 瀬長村の奴留殿内にある。
 その御子王農美佐がいる。 

3.三男王農志留毎
 居住は東風平富盛村。
 同地で薨る。
 御子 
 長男王農阿那久
  その御子長男王農久留銘
 二男王農志部久
  居住は喜屋武間切上里村である。
  神主を祀るのは上里村の謝名
  の家である。
  御子長男王農真奴姑

 三男王農志留久
  居住は今帰仁新里村に住む。
  そこで世を終わる。
  神主は湧川村新里屋で祀られる。

天孫氏4代目王農美留姑がいました。
居住は国頭久志村に住む

参考文献
琉球祖先宝鑑伝説
古琉球三山由来記集

まとめ

島尻世主
天孫氏の弟で三男であります。
島々村々を巡り農事の方法・仕方を教えられた方である。
本島の人々に初めて農業で生活の糧を得る。
百姓の生き方を教えた方でもある。

方々に獄々、森々、川井戸を
仕立てた。
間切り村々の境界を定め、
地方の踏み分けを定めて
耕種の方法を教授した。
豚・羊・牛・馬等禽獣の類を
持って来て
牛、馬で開墾の仕方、
家禽類の食料の自給自足方法を
伝授した。
民を仕分けして、民居を定めた。

御子二世
長男は大里平川村作りを始めた
方である。
三男与那城按司は兼城阿波根村を
初めて作った方である
四男具志頭按司は、久米島島尻村を
初めて立てた方である。

島尻世主(=王農大主)の御子二世達
琉球天孫は605年頃に始まりますから
二世達が部落を作ったのは
650年前後だと推測することができますね。

王農大主(父天帝子)の御子
長男王農巴志毎
その長男王農真呉留
その御子長男王農美留姞
天孫氏四代目であることがわかりました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

仲地弘和
家系
氏集首里・那覇
八番31頁 白氏 名乗頭字・信
大宗白楊基 金城親雲上信懐
家紋:武田菱、四つ割菱
勝連濱川按司御子二男勝連「屋慶名主(楊布主)」

前原高校を経て
琉球大学農学部卒業

調査に月日を重ね続けるなか
うるま市郷土地元と琉球の歴史に興味が湧き
資料を集め30年が過ぎる。

その資料を再考察し自分が感じた事
先祖の歴史を基礎に、
琉球の先人達
郷土史家伝説の資料から導き出した
自分独自の琉球歴史観を記しています。

少しでも琉球郷土史に興味を抱いている方々の
参考にしていただけたらと思い書いています。

学問的に歴史研究家
先生方に師事し学んで無いので
多々間違いも多くあるものと思います。
参考程度で読んでもらえたら幸いです。

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