天孫琉球惠祖世主は大里天孫氏の後裔である。天孫氏後裔、抽象的で理解が難しい 英祖王の父惠祖世主は大里天孫氏の後裔である。大里天孫とは何なのか具体的に、誤解を招かないよう理解を深めたい。 天孫と言う言葉、天孫の子孫の始まりを解説する。 12世紀頃から琉球には源為朝の源氏琉球と天孫琉球(... 2020.11.20天孫琉球
琉球按司系図察度王の地畑に金・銀・財宝の数々が埋まっていた。嘘・真実どちら 察度は体は大きいが家業の手伝いもせず、遊びほうけていた。勝連按司の一族に絶倫の美人の娘がおり、武士等がお付き合いを申し込みすれど美娘(ウト樽)は諸武士の申し出を拒みつずけていた。 それを風の便りで聞いた察度は、みすぼらしい服装で遊びほうけ... 2020.11.17琉球按司系図
琉球按司系図三十六姓を琉球に派遣した目的は何なのか、三十六姓はどんな氏名なのか 中国明の時代にどんな目的で三十六姓を琉球國に派遣したのか 派遣したのが三十六姓と言われているが、それはどんな姓なのか調べてみました。 渡来した氏名(うじな)に時間・時代のズレがある為、三十六姓の数に影響はあったのか 中国から明以前に琉球... 2020.11.15琉球按司系図
琉球按司系図尚宣威王の退位、死、「諡 義忠」の謎を紐解く意味するものとは 半年で琉球王を退き、直ぐに亡くなる。その死に疑問を感じ、思うところを書いてみました。気になる「諡 義忠」を調べて分かったこと もしも暗殺で死亡した場合、前王の弟を殺めるほどの琉球王府内の勢力、王府内に存在する派閥とは、どんな力・グル... 2020.11.12琉球按司系図
琉球按司系図与湾大親の先祖は、どこからきたのか 与湾大親は奄美大島在地の豪族、尚清王から大親に任命された。 他の大親の妬みで、王府軍の総大将、根差部親方の与湾大親追討軍が大島に派遣される。 忠臣与湾大親は抵抗することなく自ら縊死する。 息子の糠中城は琉球へ連行される。 父与湾大親の無... 2020.11.10琉球按司系図
天孫琉球免武登能城主の子孫達 山東省の内登洲府蓬莱県から中国人三人が明東の内大東島の島に漂着した。それから瀬長島に渡り、今の高嶺間切り大里村の西表の南嶺後瀬固と云ふ場所にきた。布屋を作り住居とした。 一人の姓は姜風氏、名は須鳳と言う。又の名は阿武理と云... 2020.11.07天孫琉球
天孫琉球天孫琉球25代は琉球統一王朝ではなく、一地方の豪族城主である 天孫琉球25代までの時代は三山(南山、中山、北山)が統一されてなく、地方の豪族は自分の思いのまま貿易、地域を治めていた。隋、唐の時代に琉球国と呼ばれた国は天孫琉球の事ではない。それはどこの城の主が琉球国と呼ばれていたのか。 ... 2020.11.07天孫琉球
琉球按司系図鬼大城夏居数と摩文仁殿内夏氏の系譜を辿り分かったこと 鬼大城夏居数 夏居数の夏の氏名(うじめい)が何処からきたのか、その痕跡を調べました。 また子孫の流れを調べますと二系統の流れがあることが分かりました。 一つ目は夏氏摩文仁殿地の流れ 二つ目は今帰仁子、栄野比大屋子の鬼大城夏居数の流れ 二つ... 2020.11.03琉球按司系図
琉球按司系図大新城親方安基とは、どんな人物なのか 大新城親方安基 尚真王の長男として生まれるが、下りて臣籍となる。 尚元王は幼少の時、病弱のために、王府内に王位継承に反対する動きがあった。 三司官の一人、新城親方安基が反対論を押し切り世子尚元を即位させた。 羽地間切の総地頭職を務める 2020.10.30琉球按司系図
琉球按司系図牧志恩河事件、薩摩藩主島津斉彬の軍備増強で琉球で起こる事件 牧志恩河事件、薩摩島津斉彬が軍備増強を図り琉球王府で起きた事件 反薩摩派の三司官の座喜味盛普(唐名は毛恒徳)の罷免し 交代人事で親薩摩派は、慣例を無視する昇進速度で、 牧志朝忠(唐名は向永功)を日帳主取(外務次官に相当)に任命した。 薩摩藩主島津斉彬が急死することで島津の政変が琉球にもおよび 斉彬派(親薩摩派)の琉球官僚にも悲劇が起こります。 それが牧志恩河事件です。 2020.10.29琉球按司系図