琉球按司系図与湾大親の先祖は、どこからきたのか 与湾大親は奄美大島在地の豪族、尚清王から大親に任命された。 他の大親の妬みで、王府軍の総大将、根差部親方の与湾大親追討軍が大島に派遣される。 忠臣与湾大親は抵抗することなく自ら縊死する。 息子の糠中城は琉球へ連行される。 父与湾大親の無... 2020.11.10琉球按司系図
琉球按司系図鬼大城夏居数と摩文仁殿内夏氏の系譜を辿り分かったこと 鬼大城夏居数 夏居数の夏の氏名(うじめい)が何処からきたのか、その痕跡を調べました。 また子孫の流れを調べますと二系統の流れがあることが分かりました。 一つ目は夏氏摩文仁殿地の流れ 二つ目は今帰仁子、栄野比大屋子の鬼大城夏居数の流れ 二つ... 2020.11.03琉球按司系図
琉球按司系図大新城親方安基とは、どんな人物なのか 大新城親方安基 尚真王の長男として生まれるが、下りて臣籍となる。 尚元王は幼少の時、病弱のために、王府内に王位継承に反対する動きがあった。 三司官の一人、新城親方安基が反対論を押し切り世子尚元を即位させた。 羽地間切の総地頭職を務める 2020.10.30琉球按司系図
琉球按司系図牧志恩河事件、薩摩藩主島津斉彬の軍備増強で琉球で起こる事件 牧志恩河事件、薩摩島津斉彬が軍備増強を図り琉球王府で起きた事件 反薩摩派の三司官の座喜味盛普(唐名は毛恒徳)の罷免し 交代人事で親薩摩派は、慣例を無視する昇進速度で、 牧志朝忠(唐名は向永功)を日帳主取(外務次官に相当)に任命した。 薩摩藩主島津斉彬が急死することで島津の政変が琉球にもおよび 斉彬派(親薩摩派)の琉球官僚にも悲劇が起こります。 それが牧志恩河事件です。 2020.10.29琉球按司系図
琉球按司系図孫の尚維衡を祖母おぎやかは王即位から外したのは何故 尚維衡(=浦添 朝満 1494年~1540年) 尚真王の長男。向氏小禄御殿の元祖。 父王尚真の世子であったが、廃嫡され、結局王位を継ぐことはなく、尚真王が亡くなると弟の尚清が即位し4代目王となった。 廃嫡の原因1.尚真の... 2020.10.27琉球按司系図
琉球按司系図護佐丸一族は天孫氏後裔惠祖世主か北山大按司(大舜)どちらなの 中城按司護佐丸一族は天孫氏後裔惠祖世主か源為朝の北山大按司(大舜)のなのか二つの見方がある。それは英祖王二男湧川王子に起因するとみています。まず結論から申しますと、二つの流れの見方は正しいと思います。 義本王の三男なる今帰仁城主は二... 2020.10.23琉球按司系図
琉球按司系図翁氏国頭親方盛順 大米須親方の御子米須里主と辺士名ヌルとの子 1689年(元禄二年)琉球王府が系図座を設けて家譜の保存 琉球王府の系図座に保管されていた家譜の総目録の 筆写本を収録した「氏集」の見方を学び、先祖の系譜作成の仕方を翁壽牂國頭親方盛順の氏集資料基に基礎を学ぶ 2020.09.29琉球按司系図
琉球按司系図先祖ルーツ探し沖縄編自分探し高祖父、祖父、父、叔父の名前から 琉球王府の系図座の家譜の総目録 筆写本を収録した「氏集」の見方を習得し その知識「氏名」「名乗頭字」 自分・父・祖父・母の父・祖母の父などの名前から 共通(同じ)名乗頭字を基に先祖・ルーツの痕跡をたどり 自分の先祖を探しだし系図を作成の解説です 2020.09.28琉球按司系図
琉球按司系図大米須親方尚徳王三司官第二尚家尚円王の実兄です どんな方? 大米須親方第二尚家初代王尚円、弟に二男上間親方、第二尚家二代四男尚宣威王の長男実兄です。 御子に米須里之主、その御子里主子、その息子が大宗顧保安比嘉筑登之親雲上助輝です。 辺士名ヌルとの御子 翁氏国頭親方盛順がいます。 2020.09.25琉球按司系図
琉球按司系図汪英大城按司南城市大里南山王と南山王初代島尻大里按司との関係 南山王初代大里按司 南山城島尻大里間切糸満市大里に在る 初代大里按司が中山国の攻撃を防ぐ城として弟の「汪英大城按司」に築城させた。 島添大里間切南城市大里の城汪英大城按司の城がある。 南山国には島尻大里と島添大里の二人の王がいた 2020.09.24琉球按司系図