琉球天孫25世まで琉球の文化歴史を感ずることが出来ない沖縄の歴史、すべての文化、言語も含めて葬り去られたのか。
琉球諸語 “琉球の方言”は琉球天孫25世1187年前まで方言として使用されていたのか、
琉球諸語 “琉球の方言”は舜天前から使用されていた琉球諸語なのか検証してみました。
言語はその場所・地域の支配者・権力者により変遷します。
琉球言語を時代3区分をしてみました。
1.祖国復帰の琉球の方言時代(1903年~2020年現在まで)から日本語の時代
2.源為朝政権の舜天(1187年~1903年)源氏琉球の方言の時代
3.天孫25代まで琉球諸語 “琉球の方言”の時代(1187年以前)
琉球方言から日本語の時代へ
1903年に沖縄に方言札が登場しました。
熱心な方々のご指導で沖縄・日本の宝の言葉・琉球方言が琉球の地から亡くなろうとしています。
一地域の琉球方言がただ無くなる様に思えるのかも知れませが。
歴史遺産の言葉を失う寸前の時に立ち会う事の重要性を感じます。
何か少しでも役に立てる記事をと前々から感じていたことを書いてみました。
言語学者の先生方が琉球諸語 “琉球の方言”を色々研究し古来から伝わってきた日本言語の祖語の一つだと学んできました。少し見方に変化がありその思いを書いてみました。
琉球諸語 “琉球の方言”は日本言語の祖語の一つではないのかもしれない・・・何故
沖縄は祖国復帰1972年に日本国に戻りました。
普通の共通語のように沖縄では琉球方言も話されていました。
一部の年配の方々は今でも琉球諸語 “琉球の方言”で会話する方々もいます。
方言札が登場してから(1903年~2020年)117年間に琉球諸語 “琉球の方言”を使用する方々が少なくなり、今まさに琉球の地から消えようとしています。
言語使用規制が厳しく無くても117年足らずで琉球諸語 “琉球の方言”が簡単に別言語に変わる現実を体験してきました。
言語使用規制を厳しくすると物凄く早い期間で地域語は消えるのかも・・
源氏琉球諸語 “琉球の方言”の時代
1187年源氏琉球の時代に多くの源氏の兵・家族が沖縄に住むようになります。
沖縄天孫系の武士たちは今まで住んでいた地域場所を追われ殺されたり離島に逃げ隠れて生きます。
源氏渡来武士たちは征服地の言葉を勉強・習得することは無いでしょう。
その言葉を自分の言葉として使い家族皆に使用強要することは考えられません。
征服された住民は、征服者の言葉・習慣その他色々を地元民に強要します。
その文化・風習に順応できないと生きるのに不自由さを感じ滅びに至るでしょう。
その時代の状況を想像してみますと、受け継いできた琉球諸語 “琉球の方言”もその時点で凄い変化があったのではなかったかと想像ができます。
1187年まで琉球で使用されていた琉球諸語の”琉球の方言”は天孫琉球25世と一緒に滅びさったのかもしれません。
琉球で生まれ育った自分には琉球諸語 “琉球の方言”は、1187年前の時代から受け継いできた言葉だと疑いを持つことはなかった。
現存している琉球諸語 “琉球の方言”は、1187年前の時代から受け継いできた琉球諸語 “琉球の方言”なのか検証してみました。
日本語と琉球諸語 “琉球の方言”の分岐
日本語と琉球語はいつの時期に分岐したのかを言語学者が提示した4つのテーマを検証してみました。
1.奈良時代の上代日本語には琉球語と共有していない改新がいくつか見られるため、両者は7世紀以前に分岐したと考えなければならない
2.九州から琉球列島への移住はそれより後に行われた可能性があり、
おそらく10世紀から11世紀にかけての農耕文化の急激な拡大(グスク時代の開始)と一致すると考えられる
3.こう考えると、琉球祖語に中古日本語から借用された漢語が存在することが説明できる
4.琉球への移住が行われてから1609年に薩摩藩が琉球王国へ侵攻するまでは、日本本土からの影響は限られていた
まず第一の奈良時代の上代日本語とはなにか
上代日本語(じょうだいにほんご)とは、奈良時代(710年~794年)およびそれ以前に使用されていた日本語である。
上代東国方言(じょうだいとうごくほうげん、じょうだいあずまほうげん)は、奈良時代の東国(坂東)で話されていた上代日本語を指す。
飛鳥時代(592年~710年) から東海道諸国を「アヅマ」「アヅマノクニ(東国)」と呼び、関東地方に相当する地域を「坂東(ばんとう)」と奈良時代初頭ごろまでに呼び方が定着しました。
壇ノ浦の戦い(1185)で源氏に敗れた平氏の残党が落ち延びてきた、という伝承が奄美の各地に数多く残っている。
奄美には、資盛(すけもり)・行盛(ゆきもり)・有盛(ありもり)の平家三将が落ち延び、諸鈍・戸口・浦上にそれぞれ城を構えたという伝説が残っています。
桓武平氏維衡流(伊勢平氏)平資盛は、瀬戸内町加計呂麻島の諸鈍に居を構えたとあります。
第3代尚真王の長男尚維衡は父王尚真の世子であったが、二度にわたり廃嫡されました。
岳父の父泊宗重の仕事 泊地頭は泊村および奄美群島を管轄することでした。
第3代尚真王の長男尚維衡の岳父である呉起良・花城親方宗義は泊里主宗重の次男でした。
奄美大島の平家が琉球王朝の身近にいることがわかります。
坂東平家の1文字「維」をもらうことは平家一門であることを示しています。
琉球祖語に奈良時代の東国(坂東)で話されていた上代日本語、中古日本語などが話されて使われていたことがわかります。
上代日本語・中古日本語の漢字などが使われていたことも理解できます。
源為朝の御子舜天王(1187年~1903年)源氏琉球の方言の時代
1187年の源氏琉球の時代から2020年までの833年間で琉球に保存されていた言葉が琉球方言でなく、鎌倉幕府時代まで使われていた言葉が現存していたら凄いことですね。
117年間で琉球方言と言われている言葉が厳しい規制がなくても消えかかっています。僅か117年足らずで・・・
833年間では人間もかわり抹殺したい言葉は跡形もなくなります。
1187年前の言葉・言語は何処を漂流しているのか・・・可哀想ですね

参考資料:宮古方言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮古方言には、日本語にはない唇歯摩擦音f、vがある。hは宮古方言大部分で存在しない
北琉球方言にある声門破裂音ʔは、宮古方言の殆どの地域で音素として認められない。
子音の独立性が高く、子音単独でも一つの拍をなすことができる点で日本語・琉球語の中では独特である。
1187年前の琉球諸語 “琉球の方言”を使っていた琉球天孫は、言語と南の地ニライカナイの土地の近くに移動したのですかね。
まとめ
琉球諸語 “琉球の方言”が1187年前の琉球の方言で無いことになりますと、沖縄・琉球人は故郷琉球に対する価値観が変わりますから恐怖ですね。
1187年前の天孫琉球を破滅に追いやった源氏琉球の自分が琉球の地で何も知らずに生活してきたことの怖さがあります。
結論は言語学者の先生方が出してくれるでしょう。
もしも琉球諸語 “琉球の方言”が、1187年前の天孫琉球の言語でなかったら。
琉球諸語 “琉球の方言”は、日本に現存した古代祖語(上代日本語・鎌倉時代の言葉)かもしれません。
奄美大島地域などを支配した平家・源氏の落ち武者などが言葉・習慣等にも影響を与え、奄美地方・周辺地域の古来から話していた言葉を破滅させたかも・・・
そして平家・源氏が使っていた日本に現存した古代祖語を強要し奄美周辺の地域の方言として定着させたのかも・・・?
言葉・言語も時代の流れと地域・地域で形を変え存続し生き物みたいに生き、滅亡・繁栄を繰り返しているのかもしれません。
1187年前の天孫琉球の言語が滅亡してしまったと結論がでますと、どこかに生きている言葉の化石はないのか。
言語学者・歴史家達が探してくれますかね