北山王で北山世主湧川按司の父、湧川王子
血統は大里天孫氏の後裔惠祖世主の
御子英祖王の二男である。
父:湧川王子
祖父:英祖王、
曾祖父:惠祖世主
の血統の記載式が理解し易いです。
今帰仁按司、北山按司か
どちらかの養子になります。
そこで父、祖父、
曾祖父、高祖父の記載が血統の流れから
代々相続してきた養子先の家系の流れに変わります。
大舜(今帰仁按司)、北山大按司、北山按司
舜天王の後裔の今帰仁按司、両方が
入り混ざり判別が難しくなります。
湧川王子の養子入りを血統、家系の両面から分析してみました
源氏琉球の按司系図をたどるのには
四系統の区分理解がどうしても重要な要素になります、
第一の系統 天帝氏(免武登能太祖)の御子の系統
第二の系統、源為朝の御子舜天王(琉球王)の系統
第三の系統、源為朝の御子大舜の系統
第四の系統、琉球天孫氏後裔恵祖世主の系統
今帰仁按司について
源為朝の御子、第三の系統の大舜が今帰仁城に入り
今帰仁城を再興し、今帰仁城主になる。
第二の系統の中山王舜天王の太子舜馬順熙王の次男より
今帰仁城に入り今帰仁城主と称する。
この城主は義本王の弟で、
前には今帰仁王子と称する。
御子生まれず、兄義本王の三男が今帰仁王子の
養子になる。
義本王の三男の今帰仁城主は嗣子無く
第四の系統の姻戚なる中山英祖王の次男、湧川王子を養子とする。
また二、三代のころに
臣下の本部大主の謀反で敗れ子孫離散する。
北山世主湧川按司の二子、北山王、今帰仁按司の系統世代区分
1.第三の系統、大舜(今帰仁按司)①、北山大按司②、長男北山按司③、
長男北山若按司④、
第四の系統の今帰仁按司(養子湧川王子)⑤、
北山世主湧川按司➅、
湧川按司⑦、北山怕尼芝王⑧、北山珉王王⑨
北山攀安知王丸➉、
2.第二の系統の舜天王、太子舜馬順凞王、二男今帰仁城主③、
太子義本王、三男今帰仁城主④、
第四の系統の惠祖世主、英祖王、二男湧川王子⑤、
北山世主湧川按司➅
北山世主今帰仁按司⑦(本部大主に滅ぼされる)
仲昔今帰仁城主⑧(本部大主を討ち滅ぼし旧城取り戻す)
仲昔今帰仁仲宗根若按司⑨(北山怕尼芝王に攻め滅ぼされる)
今帰仁子➉
湧川王子の北山王の血統
英祖王の父は天孫氏後裔恵祖世主
湧川王子の父は英祖王
湧川王子の御子北山世主湧川按司
御子湧川按司⑦(子供に今帰仁按司⑦もいます)
御子北山怕尼芝王⑧(兄弟湧川按司⑧)
珉王⑨父君は怕尼芝王
珉王の御子北山攀安知王➉、北山城三代目、北山最後の王である。
北山怕尼芝王の親族
北山怕尼芝王の御墓所は
今帰仁間切り下運天村の西表にある。
墓所を守る者は下運天村のカショウ屋と言う家である。
北山王怕尼芝王の御神位は本部間切りの浦崎村の辺名地の並里と言う家にある。
王の御獄山本を守る家は、親泊村の奴留殿内の仲宗根と言ふ家である。
同じ血族で北山王と今帰仁按司が政権闘争を繰り返していて
北山按司、北山王と今帰仁の城主との関係は、
北山攀安知王が滅びるまでは今帰仁の配下とは考え難い。
北山世主湧川按司➅の御子北山王、今帰仁城主
・北山王は大舜、北山大按司の流れで北山怕尼芝王、
北山珉王、北山攀安知王として北山王として今帰仁城主とは別としてとらえたい
城も無く今帰仁按司と戦えたのか、
何処を居城したのか早く判明するといいですね。
・今帰仁按司(北山世主湧川按司➅の御子)
居所は本部今泊(親泊)であった。
父、臣下が本部大腹に殺害され今帰仁崩壊の時
今帰仁湧川村の根所の新里と言う家に引っ越した。
北山王(北山世主湧川按司)の御子伝説
長男北山王(童名松金)
御子
長男山田按司
二男湧川按司
三男我那覇親雲上
四男豊見城親方
五男中城親方
六男内間大主
七男喜屋武按司
八男小禄親方
九男安仁屋按司
十男江洲親方
十一男野波大主
豊見城野波村儀間と言う家に住む。
長男野波里主は
野波村の上金城と言う家を住居とする。
十二男桃原大屋子
二男今帰仁按司(童名亀寿金)
佐敷新里村の根屋の大里大主の娘と縁を結び
後、大里城で世を終わる。
御子
長男慶佐次
二男港大主
三男松元大屋子
四男眞境名子
三男謝名親方
居所、仲村と言う家、
今の古宇利屋と言ふ家である
御子
長男謝名里主
二男志慶真大主
三男新城親方
四男仲里親雲上
五男平安名大主
六男平安座大主
七男中城親雲上
八男安屋親雲上
九男嘉数親雲上
十男小波蔵親雲上
十一男当山子
十二男宜野湾親雲上
四男本部親方
南風原本部村の根屋で没する。
五男浦添親方(童名恩徳金)
居所、浦添安波茶村の座神安波茶と言う家にある。
その家の入り婿となる。
御子
四男一女
松田親雲上は中城伊舎堂に住む。
後、中城熱田村で住み比嘉と言う家を相続する。
後代は小橋川と言う家を継ぐ
三、四男は他の村に住む。
六男仲城親方(童名虎寿金)
居所、浦添安波茶の仲間と言う家にある。
御子
五男一女いる。
二男は浦添小湾村に行く。詳細不明
七男城間親方(童名牛太郎)
居所、真和志国場村塩間と言う家にある。
御子
五男二女おる。
二男は兼城波平村に行く
五男は兼城潮平村に行き住む。
八男上間親方(童名真蒲戸)
居所、小禄村上間と言う家にある。
御子
松川親雲上、当間親雲上、
安次嶺親雲上がいる。
九男花城親方(童名思加那)
居所、真和志村識名の花城と言う家にある。
御子
七男二女おる。
親方は真和志仲井間村の城間と言う家を相続する。
十男神山親方(童名小樽金)
居所、宜野湾我如古村の桃原と言う家にある。
御子
七男三女おる。
長男我如古村に住む
二男前田村に住む
三男は家を相続する。
四男は高名城に行く
五男浦添仲西村に行く
後、行方不明
十一男小禄親方(童名恩武牛)
居所、小禄安次嶺村の根屋にある。
後、真和志安謝村に住む
また安謝村から浦添内間村の内間の家で隠居する。
御子
三男三女おる。
親方は宮城掟親雲上の入り婿となる。
十二男宜野湾親方(童名五郎)
居所、中城熱田村の名尼と言う家の嗣子相続する。
御子
五男二女おる。
参考文献
古琉球三山由来記集
琉球祖先宝鑑
まとめ
大舜、北山大按司から大里天孫氏の後裔惠祖世主の
御子英祖王の子,湧川王子が養子に入る。
御子北山世主湧川按司から北山王、今帰仁城主の
御子ができる。
しかし同じ一族で政権争いが激しく繰り返される。
北山王は大舜、北山大按司の流れで
北山怕尼芝王、北山珉王、北山攀安知王など
北山王として今帰仁城主とは別としてとらえたい
湧川王子の後裔に関しては血統の流れで確認
湧川王子の養子入りの家柄の場合
舜天王、大舜の系統の流れ,血統を区別して
判断したほうが利解しやすいです。
居城が判明したらいいですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。